活動報告

Making of 「和次郎の朝鮮半島紀行」

朝鮮半島に足跡を残した東北人プロジェクト(その1)

◎題 名:「和次郎の朝鮮半島紀行」

◎企 画:角 俊行(スミ・トシユキ)

◎文 章:火田民平(ヒダ・タミヘイ)

1 旅行期間  1922年(大正11年)9月11日(月)~10月11日

2 主な登場人物

今和次郎

(コン・ワジロウ)

早稲田大学建築学科教授。34歳。独身。青森県出身。全国の民家を調査。朝鮮半島での調査は初めて

小田内通敏

(オダウチ・ミツトシ)

早稲田大学講師。47歳。秋田県出身。朝鮮総督府から委託を受けた朝鮮部落調査の総括責任者

柳宗悦

(ヤナギ・ムネヨシ)

東洋大学教授。33歳。雑誌「白樺」主宰。朝鮮民族美術館を京城(ソウル)に建設するため精力的に活動中。

浅川巧

(アサカワ・タクミ)

朝鮮総督府林業試験所職員。試験所業務のかたわら、半島各地の陶磁器の窯元を調査。柳宗悦の右腕として、朝鮮民族美術館の開設準備事務局を努める。山梨県出身。31歳

斎藤実

(サイトウ・マコト)

朝鮮総督。63歳。岩手県出身。14年後、内大臣のときに2.26事件で殺害される。

岩井長三郎

(イワイ・チョウザブロウ)

朝鮮総督府建築課長。朝鮮総督府の新庁舎建設を総括。また、京城府庁舎、高等法院庁舎などを設計。

3 その他の登場人物

原敬

(ハラ・タカシ)

二代前の総理大臣。前年11月に東京駅で刺殺された。享年65歳。岩手県出身

後藤新平

(ゴトウ・シンペイ)

東京市長。65歳。岩手県出身。台湾総督府民政局長、満鉄総裁、内務大臣などを歴任。

水野錬太郎

(ミズノ・レンタロウ)

この6月から加藤友三郎内閣の内務大臣。朝鮮総督府の前政務総監(総督の次席ポスト)だった。54歳、秋田県出身

阿部充家

(アベ・ミツイエ)

京城日報社長。60歳。総督の私的情報機関やアドバイザーとしての役割を果たした。

守屋栄夫

(モリヤ・エイフ)

朝鮮総督府庶務部長。37歳。宮城県出身。後に衆議院議員、塩竃市長などを歴任。

今村武志

(イマムラ・タケシ)

朝鮮総督府専売局庶務課長。42歳。宮城県出身。柳宗悦の義兄。後に樺太丁長官、仙台市長などを歴任

淵沢能恵

(フチザワ・ノエ)

淑明女子高等普通学校学監。72歳。岩手県出身。55歳で朝鮮に渡り女子教育のため同学校を設立。斎藤総督の妻、春子は、能恵が東洋女学校で教鞭をとっていたときの教え子。

浅川伯教

(アサカワ・ノリタカ)

浅川巧の兄。巧よりも先に朝鮮に渡り、陶磁器の目利きとして名をなしつつある。38歳

赤羽王郎

(アカハネ・オウロウ)

中央学校教師。36歳。長野白樺派の創立者。長野県の小学校教員だったが、ある事件で懲戒免職。朝鮮半島に渡り、後に帰国。奄美大島などで教鞭をとった。

中村與資平

(ナカムラ・ヨシヘイ)

建築家。42歳。東京駅を設計した辰野金吾の事務所に入り、旧朝鮮銀行本店を設計。京城で独立。旧朝鮮銀行大連支店などを設計した。

金性洙

(キム・ソンス)

中央学校、京城紡績、東亜日報の創業者。31歳。第二次世界大戦後の李承晩政権において副大統領となるが、後に辞任。子孫は、現在、東亜日報グループを率いている。

宋鎭禹

(ソン・ジヌ)

東亜日報社長。33歳。金性洙の幼なじみで盟友。第二次世界大戦後、朝鮮半島の統治をめぐる激動の中、暗殺された。

朴泳孝

(パク・ヨンヒョ)

京城紡績社長。東亜日報の前社長。60歳。閔氏政権下、金玉均らとクーデターを企て、日本に亡命。日韓併合後、侯爵となる。

朴承稷

(パク・スンジク)

綿製品等を取り扱う商店などを経営。伊藤博文の支援を得て、自ら成長するだけでなく、朝鮮資本の育成にも尽力。子孫は、現在の斗山グループを率いている。

有賀光豊

(アルガ・ミツトヨ)

朝鮮殖産銀行頭取。2年前に前任者の急死を受けて、急きょ就任。当時、朝鮮の人を平等に扱い、朝鮮実業界の生みの親とも評されていた。

丸山鶴吉

(マルヤマ・ツルキチ)

朝鮮総督府警務局長。警察畑の内務官僚でありながら、朝鮮人を理解し、その登用にも理解を示したとされる。

三輪和三郎

(ミワ・カズサブロウ)

鍾路警察署警部などを歴任。多数の「不逞鮮人」を検挙したと言われる朝鮮特別高等警察の伝説的人物。

三・一運動の関係者

三・一運動は、1919年3月1日、京城のタプコル公園を起点とし全国に波及した示威運動。反乱罪(重罪)に処断されるのか。高等法院の特別チームが下した結論とは。運動に参画した崔麟(チェ・リン)、崔南善(チェ・ナムソン)などは、どうなっていた?

高敞の金一族

全羅北道の高敞(コチャン)発祥の大規模な米作経営を行う一族。金性洙の義父である祺中(ギジュン)、実父の暻中(ギョンジュン)などの援助もあり、性洙と弟の秊洙(ヨンス)は出世街道を歩む。金秊洙の子孫は、現在の三養グループを率いている。

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