活動報告

ソウルの建築の歴史

20年近く前、初めてソウルに行った日、湧き上がった懐かしさの元は?

当時、世界遺産級の路地裏はそのまま。
他方、妙に存在感のある建築もあり、多くは日本人が植民地時代に建築したもの。
明洞では日本家屋のような古い家がかなり残っていました。

時代が変わり、現在、路地裏も日本人建築も高層ビル群に埋没あるいは消滅しつつあります。
数年前、チュンムロ(忠武路)に近いところで土間のある日本家屋をようやく発見。
そこは、昔、本町と呼ばれた通りの東端でした。
本町とは、現在の中央郵便局の右横から東に長く続いた日本人の繁華街。
本町の北側が明治町。二つ合わせると、大体、現在の明洞に重なります。

下の写真は、1920年代後半の京城(現ソウル市)の眺望(南山方面から)。
朝鮮博覧会(1929年)の記念写真帳に掲載されたものです。
右手のポッコリとした山が北岳山で、その前の白亜の建物が朝鮮総督府(1926年竣工)
その左下方向の白い建物は京城府(1926年竣工。現在のソウル市庁舎の一部)
そのやや右隣りが朝鮮ホテル、その左下が朝鮮銀行本店(現韓国銀行本店)、その右側が中央郵便局。

京城府の下側は、瓦屋根の日本家屋ですが、上側はモヤモヤしています。
これは伝統的な朝鮮家屋。丈が低く、瓦屋根のほか、わら屋根も混じっています。
この時期、京城府を挟む東西の線で、上側が朝鮮人が住む街(北村)、下側が日本人居住区(南村)です。

日本人は、まず南山(ナムサン)に入植を始め、その下側のジンゴゲ(湿って汚れた地)に進出。
本町や明治町などを作って行きました。(写真では、真ん中から右方向の辺り)
写真では日本家屋が下の方から上側に浸透して行っているように見えます。
北村の中心、鍾路まで日本人が入り込みつつあった頃に、第二次世界大戦が終了。

建築研究者が書いた本を2冊紹介します。

① 図説ソウルの歴史---漢城・京城・ソウル、都市と建築の600年(砂本文彦著。河出書房新社)
  ふくろうの本シリーズの1冊ですが、歴史の説明も的確で、とても濃い内容です。
  新村がなぜできたのか、仁川はリゾート地だったなど、眼からウロコです。
  この本と当時の地図を持って見て歩くと、立派なソウルの歴史散歩になります。

② 日本の植民地建築---帝国に築かれたネットワーク(西澤泰彦著。河出書房新社)
  日本の支配地域(朝鮮、満州、台湾)に建てられた建築の背景や歴史だけでなく、
  為政者の意図を十分に体現しようと苦心する建築家の姿が浮き彫りとなる楽しい一冊。
  韓国交流だけなく、大連交流にも関心のある方には、大連の大広場にヤマトホテルなどが建てられ、
  また、当時、画期的な工夫が施された大連駅などの紹介はとても参考になると思います。

京城全景1928頃その2.jpg

最新記事の一覧へもどる